無題

日常100の質問(questioned by lalalagi) - ケルクショーズ・イリヤ(Quelques Choses - il y a)

フォロワーである小梅さんが答えているのを見て興味が湧いたので、らららぎさんの日常100の質問に答えてみました。

お見苦しい点もあるかと思いますが、宜しくお願い致します。



1:今日はよろしくね!

どうぞ宜しくお願い致します。

2:まずは名前と性別、余力があれば「家柄、学歴、既往歴、宗教」も教えてください。

小野寺雄一といいます。男性です。
大卒で大学時代には京都に住んでいました。
宗教は強いて言えば仏教でしょうか。関西に行った際は色々な寺社仏閣を観たりします。

3:ウィンドウズのキーボードに常備されている「Caps Lock」キーの存在をどう思いますか。

存在を知ってはいても、いつも視界の片隅にしかいないので僕には縁がないんだなあと思います。

4:そもそも「存在」(Sein)というのはなんですか。

認識されたものを指すのではないでしょうか。僕、若しくは他人が其処に有ると思った時に「存在」は認められるのだと思います。

5:ごめんね、困らせるようなこと聞いて…!

困ると言うよりは悩みますね。自分はどう捉えているのかを再確認する作業で、ある意味面白いです。

6:初恋はいつですか。

親などに聞くと幼稚園時代にしていたようですが、僕自身が初恋だと認めているのは小学校の時ですね。

7:そもそも「初恋」を規定しているものはなんですか。

先程の答えと同じで、僕自身が初めてだったと認識しているその考え方の物差しが定めているのだと思います。

8:初恋はどうして数多くのひとにとって特別に感じられるのでしょうか。

初めての事に遭遇すると言うことは、自分が経験体験したことのないものを知る事だと思います。自分の範疇外の事に触れる機会は、自分という存在が揺るがされる様に感じるので特別に思うのではないでしょうか。

9:初恋を(精神的に・心理的に・形而上学的に)繰り返すことはできるのでしょうか。

「精神的、心理的」精神と心理の差が僕にはよくわからないのですが、それが初恋だと認識出来るのであれば何度でも可能だと思います。
形而上学的」形而上学をよく知りませんので控えさせていただきます。

10:そもそも「繰り返す」(répéter)ということを、ぼくらはなにかしらにおいてできるのでしょうか。

何かしらにおいて出来ると思います。先程から書いておりますが、繰り返していると自身や他者から認識されれば繰り返していると言えると思います。
時間軸的に同じ日は繰り返せませんが、同じ様な日を繰り返しているなと思えてしまうのが人間の認識ではないでしょうか。

11:中学校のときの友だちと、いまでも会うことはありますか。

一部の友達とは時間が合えば節目毎に飲みに集まります。

12:そもそも「友だち」というのはどんなひとのことでしょうか。

僕にとっては一緒にいても、一人でいる時に限りなく近い状態でいれる相手を指すと思います。普段被っている仮面を最低限の数で済ませられる相手であると思います。

13:ぼくらはどうして「友だち」と一緒にいるのでしょうか。

一緒にいたいと思うからではないでしょうか。僕の場合、心の底から笑える時を過ごせるからですかね。気を使い合う関係の中に居続けて、自己を繕って生活するのは疲れますし限界がありますから。

14:「友だち」は完成していますか、未完成ですか。

僕の中で友達を完成、未完成という物差しで見る事はありませんのでどちらでもありません。

15:理想的な「友だち」は遠いですか、近いですか。

理想とは何処までも遠い存在であると思います。それが人という存在なら、自分の範疇に理解し収めようとして苦しむことになりそうな気がします。

16:「友だち以上恋人未満」とは言いますが、「恋人以上友だち未満」という状況はありますか。

ありそうとは思いますが、具体的には思い浮かばないですね。何かのパートナーとかなら当てはまりそうかもしれません。

17:友だちと恋人は連続しているものですか。それぞれ独立しているものですか。

友達から恋人になった場合連続している様にも思えますが、時が経つにつれて独立したものになっていくのではないかと思います。

18:友だちになる方法と、恋人になる方法は異なりますか。

どちらも言葉やコミュニケーション無しには出来ないと思いますので、一緒だと思います。

19:そもそも関係の手続きとなるような「方法」はあるのでしょうか。

コミュニケーションによって共通認識を持つ事だと思います。例えばコミュニケーションの中で、昔住んでいたアパートの話をしていて相手も住んでいたという話を聞いた時、其処には昔同じアパート住んでいた関係が認識され構築されるんじゃないかなと思います。

20:じぶんに欠けていることはありますか。

足りない事や至らない点は色々ありますが、欠けているとは思いません。

21:そもそも「欠ける」というのは可能なことなのでしょうか。

他者と比べて自分に無いものを欠けると認識しているならば、可能なのではないでしょうか。後は持っていたものを無くした時も可能かもしれませんね。

22:だれも気づいていない「欠陥/欠如」は、欠けていないと言えるでしょうか。

その誰もには自分も入るんでしょうかね?自分も他者も気付いていないものならば、欠けているとは言えないのではないでしょうか。

23:欠けること(欠けていること)は必要なことでしょうか。

それを必要とするならば、その時は必要なのかもしれません。今のところ僕は必要としていません。

24:これまで何人のひとと付き合ってきましたか。

付き…合う…?「付く」に「合う」と書くのだからきっと何かをくっ付け合う事を指すのでしょうか…?自然が多い所に住んでますのでひっつきむしを投げ合った事ならありますよ!

25:そもそも「付き合う」というのは、なんの合意なのでしょうか。

「付き合う」とは合意が必要な事なんですか…?合意が必要なくっ付き合い…?そこそこ活発な幼少時代を過ごしたのでおしくらまんじゅうならしたことありますよ!

26:そもそも「合意」(Ubereinstimmung)というのは、なんのことでしょうか。

互いにある一つの意識や約束事を共有して認め合う事ではないでしょうか。

27:「付き合ったひと」を数えることで、恋愛は可算名詞になりますか。

「付き合ったひと」と恋愛は関係ある事なんですか…?段々この書き方面倒臭くなってきたのでやめますね。
付き合った人を数えたとしても、恋愛は恋愛という概念のままであると思います。

28:いま恋愛において好きなひとはいますか。

「います」なのか「いました」なのかが微妙なところです。

29:そもそも「好きなひと」というのは、どのようなひとのことですか

顔も声も思い出せなくなっても胸を焦がす存在です。

30:だれかを好きになることは、簡単ですか、困難ですか。

なろうとするのは難しくて、なってしまった時は簡単な様に感じるのかもしれません。

31:異なる相手をおなじように好きになることはありますか。

ちょっとよくわかりませんね。そういった経験がさっぱり思い当たらないので。

32:好きという気持ちには、なぜ終わりがくるのでしょうか。

僕らは限られた時間という中で生きていますから、死んだら何でも終わりを迎えますし、ずっと同じで有るものは無いと思います。それは気持ちというものも一緒ではないでしょうか。

33:飽きたり冷めたりしたときに関する「合意」はするべきでしょうか。

するべきとか必要とかは人それぞれだと思いますが、場合によっては白黒はっきりつけて合意した方が優しさな時もあるかもしれませんね。合意は分かり易いのかな?

34:別れ話は、話すことが決まっているのに、なぜ特別に感じられるのでしょうか。

別れというものは一つの思い出や過ごしてきた時の、今までの自分としての結果であり結末であるからだと思います。

35:別れるのに、どうして付き合うのでしょうか。

別れるその時まで一緒に過ごしたいからではないでしょうか。

36:(やや重複しますが)恋人にならずに、友だちではいけなかったのでしょうか。

友達ではいけなかったから恋人になろうと一歩踏み出すのだと思います。友達という存在では出来ない事があるんでしょうね。知らんけど。

37:付き合ったことのあるひとを「元カレ/元カノ」と前職名・古い肩書きのように呼ぶのはなぜでしょうか。

自分だけの存在だった時があると価値付けして誇りたいのだと思います。所有欲に近いものではないでしょうか。

38:「私の彼」「俺の彼女」と所有格で説明することがあるのはなぜでしょうか。

重複しますが、それがとても価値のある事だと思っているからではないでしょうか。

39:そもそも「所有」というのは、どういった状態のことでしょうか。

自分の範疇に収められている存在だと思っている状態を指すのだと思います。

40:とあるなにかを所有している(できている)ひとと、所有していない(できていない)ひとにちがいはありますか。

所有してるのとしていないのは大きな違いであると思います。眠い。

41:なにも問題がないということは、うまくいっているということでしょうか。

問題がないというだけの状態であると思います。必ずしも上手くいっているとは言えないと思います。

42:そもそも「問題」というのは、だれが決めることなのでしょうか。

誰しもが問題を決定付けられるのではないでしょうか。本人に問題意識がなくても他者から見て問題があるのであれば、それは他者側からしたら問題として捉えられるのでしょう。誰か一人でも問題として認識したら問題は発生しているのだと思います。

43:問題を解決するために「情熱(熱意)、知性(知恵・知識)、人間関係(コネ)、暴力(腕力)、お金」以外のなにかを使うことはありますか。

意思の疎通でしょうかね。言葉を交わすという場面は必要になってくると思うので。これを知性に含めるのだとしたら他は思いつきません。

44:そもそも「解決」というのは善いことですか。

自分にとって都合の悪い事の解決を図りたい側にとっては、善い事であると思います。解決は安心をもたらすものなのかもしれません。

45:恋人と旅行に出かけるならどこに行きたいですか。

双方が行きたいと思う所に行けたらなあと思います。一人で行きたくないところでも一緒になら行ってみたいです。

46:そもそも「旅行」というのは、どうして目的地を決めるのでしょうか。

目的無しに旅立つのは放浪であり、場所や目的を決めて旅立つのが旅行だからであると思います。

47:遠出をしたとき、いつかは家に帰りたくなるのはなぜでしょうか。

家は帰る場所であり、出先はあくまで目的の為に行く場所であるからです

48:そもそも「家に帰りたいという気持ち」(Heimweh)というのはなんのことでしょうか。

安息を求める気持ちでしょうか。例え家であっても落ち着かないのなら、起きた瞬間から何処かへ帰りたいと思ってしまうのではないでしょうか。

49:「家での暮らし」というとき、どうして「暮らす」という否定的なことばを使うのでしょうか。

暮らすという言葉は否定的なのですか?住まうとか居着くという言葉に類似したものとして今まで使ってきていました。暮れるという言葉であれば否定的というのも納得出来るのですが。

50:半分まで行ったよ!

意外と時間がかかるものですね。如何に普段伝える事を疎かにしていたかがわかります。

51:ふだんよく聴く楽曲をクラブで改めて聴くと、特段「いいなあ」と思えるのはなぜでしょうか。

クラブで聴いた経験はないのですが、音を音圧として全身で感じられる事が理由の一つであると思います。

52:(音は単なる波なのに)「音楽を聴く」という行為が特別に感じられるのはなぜでしょうか。

人間とは水面に浮かぶ木の葉の様な歩みをしているから、無意識的に波に乗りたいと思うのではないでしょうか。

53:音楽がひとを殺すことはありますか。

バックトゥーザフューチャーのデカイアンプなら殺れると思います。まあ大きい音に限らず精神に多大に影響を与えられますから、誘導する事は可能であると思います。

54:ひとが音楽を殺すことはありますか。

ありそうだなとは思いますが具体例は思い付きませんでした。

55:なにもかもが一度切りだと主張するロック音楽を「再生」することは善いことですか。

ロックに善いも悪いもないと思います。ロックをやる人間がする行いが、ロックと成っていくのだと思うので。再生であれ衰退であれロックはロックなのです。

56:音楽によって想起された思い出は、いまここにあるものですか、それとも過去のものですか。

過去現在未来問わず、あると思った時其処には音が鳴っていて、思い出も共にあるのだと思います。

57:聴かなかったことにしたい音楽はありますか。

クソみたいなカバーソングでしょうかね。あとはまたもう一度出遇ってみたい音楽は聴かなかった事にしてみたいかもしれません。

58:おなじ音楽を知っている(共有している)ひと同士を、うらやましく思うことはありますか。

自分自身が人と共通の音楽を共有し語る楽しさを知っているので、僕が知らない音楽を楽しそうに話をしていると羨ましく思います。

59:国歌を知らないひとがいたら、教えてあげるべきでしょうか。

その人が必要とした時、側にいたのであれば教えてあげたらいいと思います。

60:どうして働かなければならないのでしょうか。

僕にヒモや高等遊民としての実力がないから自分で自分を養わなければいけないからです。しかし不労所得があれば働かないかといえば、多分僕は働くのだと思います。家にいるのは好きですが、其処だけで完結する世界は少し怖いと思ってしまうからです。

61:あるひとを理解するうえで、そのひとがどんな仕事をしているか知るべきでしょうか。

その人を知る一つの面であるとは思いますが、それだけでその人の事を分かるとは思えませんので知る「べき」とは思いません。

62:職業の貴賎を決めることはできますか。

共通認識として貴賎を決める事は出来ないと思いますが、貴賎があると決め付けて思い込むのが私達であると思います。

63:どうして「医者」「弁護士」「先生」は差別(優遇)されているのですか。

人の為に何かをする人は、この職業の方々のみに限らずこうあるべき、こうでなくてはならないという偏見の目がより強く当たりやすいのではないでしょうか。尊敬される様な仕事の権利を持つ者は、尊敬以上の攻撃的な劣等感、やっかみに晒されるのでしょうね。

64:仕事をしているときのじぶんは、別のじぶんでしょうか。

私の中にある一つの側面でしかありません。

65:はぐれものが社会化すること(socializing)は善いことでしょうか。

はぐれていようがいまいが、善い事をした人は喜ばれて良いと思います。

66:教育が社会化することは善いことでしょうか。

社会化というものがイマイチピンとこないです、すみません。

67:家庭が社会化することは善いことでしょうか。

同上。

68:そもそも「社会」というのは、なんのことでしょうか。

世間とは違うものなんでしょうかね?人が集まって形成される経済活動や生活が社会と呼ばれるのでしょうか、よくわかりません。

69:「社会人として」という主語(主格の複合助辞)を使って話すひとをどう思いますか。

この人の中ではそうなんだろうなあと思います。自己の持つ物事を見る物差しや、常識と思い込んでいるものを相手に強要する際の便利な方便としての側面ばかり目に付きますね。

70:祖父母や、両親や、兄弟と、あと何回会うことができるでしょうか。

回数はわかりません。いつ何が起こるかなんてわかりませんし、私達の生活には何一つ確かなものはないからです。どちらかが死ぬまで会える時に会えるでしょう。

71:親の人生をどこまで知りたいと思いますか。

親はこんな時どう歩んだのかな、どう乗り越えたのかな、どう考えて過ごしたのだろうかと思った時、その範囲で知りたいですね。

72:先祖をどこまで辿ることができますか。

興味があまり無くて覚えていませんが、父方母方の祖父祖母迄はわかります。

73:墓参りをすることで、先祖を解放できるでしょうか。

墓参りは解放をする行いではないと思います。亡き人を思い、亡き人を前として死を縁として生死する自分を考えみる場であると思います。

74:「親戚」という単位は、なににおいて役に立ちますか。

宝くじが当たって集る時と、お年玉を貰う時だと思います。結婚式と通夜葬儀の際は邪魔なだけです。

75:結婚はこれから先の未来にも必要な制度でしょうか。

結婚という形をとらなくても共にいる事が出来る存在がいて、尚且つ死んだ後の問題やその後の手続き等をどうにか出来るのであれば、必要なくなっていくのではないでしょうか。
僕であれば独り身であってもセクサロイドや適度にコミュニケーションを取れる相手がいて、地方自治体が死後の後始末をしてくれる様になってくれてさえいれば結婚の必要性を感じませんね。

76:お見合い結婚は、なぜ廃れたのでしょうか。

家という制度に捕らわれ、振り回され、強いられてきた人達によって行われてきたものの結果であると思います。お見合いというものが個と個同士の同意の上の行いであれば、今も機能しているのではないでしょうか。

77:お見合いをしていた当時のひとたちは、お見合いがなんであるかを理解していたのでしょうか。

男女などの立場や事情の違いによって、理解の仕方に差があったのではないかと思いますが理解していたのではないでしょうか。

78:お見合い結婚したひとと、のちに(改めて)恋愛することはできますか。

結婚後の関係によっては可能であると思います。何かのきっかけで恋してしまう事ってあってほしいですね。

79:そもそも結婚するための「条件」(condition)というのはなんでしょうか。

結婚の条件ではなく結婚「するため」の条件ですか。難しいですね。
僕にとっての結婚するための条件は、相手と互いに尊敬し合えるような関係でしょうかね。

80:老いは、十代や二十代には経験できないものでしょうか。

出来るのではないでしょうか。人の何倍の速さで老いる病気というものがあったと思います。

81:老いは不都合でしょうか。

一般的には不都合なものとして捉えられていると思います。此方の都合不都合なんて関係なくあるのが老いであると僕は思います。

82:そもそも「老い」というのはなんのことでしょうか。

自分にとって年を重ねるのが不都合になった時、老いと呼ばれるようになるのではないでしょうか。

83:「成長」や「成熟」を決めているのはだれであり、それらはなんのことでしょうか。

他人であり、また自分自身であると思います。それは年を重ねる事でもあり、経験を積む事でもあり、関係の中で培われてくるものであると思います。

84:「大人になる」ということはなんのことでしょうか。

自分で自分の歩み、行いに責任を持つ事ではないでしょうか。先に生まれた者として、後に生まれた者に姿を見せていくのもまた大人であると思います。

85:人生において幸/不幸はどうして問題になるのでしょうか。

幸不幸という概念に捕らわれ、それが絶対である価値観だと思い込むからです。

86:人生において要らなかった不幸はありますか。

経験したくなかったものは幾らでもありますが、それら無しに今の自分というものは考えられませんから要らないとは思えません。

87:「幸せな恋愛」「幸せな暮らし」「幸せな結婚」など、どうして他人が決めた「幸せ」を求めたがるのでしょうか。

それらは他人が決めた幸せなのでしょうか?先ず其処が僕には疑問です。
例え他人が定めた幸せであろうとも、それを望み選ぶのは自分ではないでしょうか。そればかりを求めたがるという風には僕には思えません。

88:あなたはだれかを幸せにすることができますか。

自分自身を含めても良いのなら出来ます。美味しいもの食べたらいいだけなので簡単です。

89:幸せになるための努力は必要でしょうか。

その幸せに見合う対価としての努力は相応に必要になってくると思います。

90:死ぬことは怖いですか。

今考えてみてもよくわかりません。きっと死ぬ間際に、胸に去来する想いによっては未だ死にたくない、死ねないと思って恐怖するかもしれません。

91:死んでも残るものはありますか。

歩んできた歴史としての姿や言葉などは、関わり合った人の中に意識的にも無意識的にも影響し残るものだと思います。

92:産まれたときのことを覚えていないのに、どうして死ぬことを確信できるのでしょうか。

先だって歩んできた周りの人達の生きて死ぬ姿によって学び、気付き、自己の生死という事実が問われるからであると思います。

93:死ぬことを考えることは宗教ですか。

古来より宗教とは生きて死ぬ事を問題として考えるものでありますから、死を考える事は宗教であると思います。

94:じぶんが死んだことを知ってほしいひとと、知らないでほしいひとはいますか。

僕と大なり小なり縁のある人々には知ってほしいと思います。泣かなくてもいいですし通夜葬儀に来なくてもいいですから、僕の死の事実から何かを受け取ってほしいです。

95:人生に思い出がなかったらつまらないですか。

死ぬまでの暇潰しは多いに越した事はないと思います。

96:人生に色がなかったらつまらないですか。

色を知って生きている今の僕には必要なものであると思います。坂本真綾も色彩という歌を歌っていますし。因みに色彩はFGOというゲームのメインテーマとして使われていまして(ry

97:恥のない人生を目指すのは正しいことですか。

どうなんでしょうかね、逆に恥のある人生が間違いかと考えると別にそうではないと思うんですけどね。でも、恥のない人生が正しいとはあまり思いません。

98:そもそも「正しい」というのはだれが決めることで、どういうことでしょうか。

誰しもが持つ価値観や思想、信条という物差しによって決められるものの見方であると思います。

99:死ぬことは正しいことでしょうか。

生き物として生まれたからには、死ぬ事は正しい流れの出来事であると思います。生きるという事は死ぬ事であるからです。

100:答えること自体が不都合である問いを答えさせることは、悪でしょうか。(お・わ・り)

不都合を人に強いる事は気持ちの良い事ではないと思いますが、必ずしも悪と断言する事は出来ないと思います。


最後まで読んで下さった方、有り難う御座いました。僕の言い回しはくどいように思いますが、そういう性分なもので。